読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法

 このタイトルだけで誰もが興味を持つはずである。そして興味を持ったその多くが読書に疎いという面白いことが予想できる。これはそんな彼らに自信をもたらせてくれる本である。

この本はつの章に分かれている。順に書いておこう。
・No.この章のテーマ
・”自分でこの章をまとめてみました文”
・感想、メモ

1.”読んでいない”とはどういうことか

”逆に「読んだ」ということはどういうことだろう?本って絶対的?永久変わらない?そう、ここに書くぐらいだから違うってこと。本の中身は意外にも時間に対して、あるいは人に対して常に変化しているのだ。絶対的な本や読書はない。だから、「読んだ」と簡単に言い切ることはできないのだ。(世間でよく言われる)本を読むことが本当に良いことなのか?正しいことなのか? これも違うかもしれない。読むことによって自分の考えが侵されている事実に気付くべき。読まないことで自由な独創的な客観的な思考ができる(既にしている)ことをもっと重要視し、認められるべきだ。
従って、読んだ、そうでないに関わらず、我々はすべての本に対して「読んだ」と「読んでいない」の中間地点にいるといえる”

memo・読んでいないということ? →本書では「全く読んだことがない」「流し読みをした」「人から聞いた・有名な 本」「読んだが忘れた」の4つに分ける。・本、知識は全体から考えること。全体からの位置付け。(P30)・教養があるとは?無教養とは?(P33)・この本に頻出する「共有図書館」の定義(P35)・作品に入り過ぎないこと(批評)、読書法(P62~65)・その作者の他の本は知っているのなら類似点はあるよね(P78)・書物の自己投影的性格。時間が経てば自分の中ですら本は変化する。(P85~86)・”1-4読んだのに忘れちゃった”(P88~)多くの人の最大の共感ポイントか。偉人たちも我々と同様な経験をしていたという驚き。だからこそ、そこまで詳細に読む価値ある?といったぐあい。もっと深刻な偉人の症状「読んだこと忘れちゃう」ことだってある。 それに加えて「引用と自己引用の区別が付かない」(過去の)自分自身に対しても他者となってしまうということがあるよね(P96) ・忘れること、読書も同じ。学校の勉強なんてそうでしょ?笑(P101,102)・読んだ本、忘れた本、これらはもはや読んでいない本と同じではないか?・この章で「読書とは何か」が再定義される。読んでいない本を語ることができる人はこの1章のみを読むだけ良いw


2.人がコメントするいろいろな状況

memo4つの状況「大勢の人の前で」「教師として」「作家の前で」「愛する人の前で」でそれに合う本が引用されている。・(西洋にとっては)有名な「ハムレット」。全く異なる文化では理解できない。そこで出てくる「内なる書物」の定義(P135)・P160引用”読んでいないについて著者自身の前でコメントしなければならない状況にある人間に与えられるアドバイスはただひとつ、とにかく褒めること、そして細部には立ち入らないこと”・2-4「愛する人の前で」で出てくる映画「グラウンドホッグデイ」あとで見よう


3.心構え

 ”批評することは作品を口実に自分(の考え)を述べることである。だから良い批評とは対象となる本から離れているものが理想的であるというある種変な感じになる。批評する人の主観的事実を述べているだけなので、批評に正しさや間違いなどない。どんな人(最悪、読んでいない人)でも自信をもって良い。”

memo
1.2よりも具体例の話が分かりにくい。
3-4の話は好きかな

全体を通じて

 さすが、この本の著者である。この本は最初から最後まで実際の書籍を引用しているだけのようなもの(言い過ぎ?w)。つまり本と本の関係だけで論じている。本書でよーく出てくる「共有図書館」を熟知しているのかなと思える。
 さてその「共有図書館」の意味つまり本書の意味のような話だが、
全てに通じる考え方が「自分を方向づけられるか。全体のなかで自分がどの位置にいるかを把握する」ということを(読書を例に)示された。これが教養であり、読書であるという。読書なんて一例に過ぎないのだ。一人一人の最近、僕の考えや能力の起源を聞かれることが多いが、まさにこれである。僕は知らずに自分を方向づけていたのだ。(ほんとそれだけしかしていないのでどうかと思うがw)やっと言語化されたような気がする。
本書にもあるように各々の本は全体の中の一冊にすぎない。例えば僕がこれを読んで変わったという本を勧めても(たいがいは読んでもらえないのだが、)同じ方向性を持たない人が読んでも同じ効果・感動は得られないのはよくあるし、そうであるはずだ。
授業を一回聞いただけで理解できる人。雑学をたくさんもってる人、など一見努力して知を手にしそうなことを簡単にこなしている人というのはそういうことなんだろう。(じゃあ努力で手に入れる知はあるの?その価値は?ってところは別の研究…)
 僕は幸運にも方向づける能力をもっていた。では周りの人のそれへの要求はどうしたらよいだろう?僕はこの能力の習得方法をしらない。僕から一つ言えるのは「君らもその能力を持っているかもしれない」ということだ。レベル差はあれど全員がもっていると言ってしまってもいいかもしれない。特に僕が嫉妬するぐらい行動している君なんて絶対にそう。行動の一つ一つに心理的?論理的?な原因があるはずだ。別にそれを(言語化)知らなくてもいいんじゃないかな。もし、僕とか他の人と差を感じるのがあるとするなら、それはお互いさまである。こっちだって君を尊敬しているだ。だから、もっと自信をもってよいと思う。

 読書に話を戻せば本は変化し続けるものであり、究極には忘却で消えてしまうようなものだ。また文化や背景が全く異なる人、子供が読んだことのない本に対して議論する、そのような意見に価値はある。そういった意味では読書を謎に進める風潮や、本の著者達は傲慢すぎるのではないかと思う。そして以上より我々にとって読んだことがあるないに関わらず、全ての本は変わらない。だから読者は細かいことを気にする必要はない、もっと全体を俯瞰する方に注視するべきだろう。自信をもってよいのだ、学校とか日常生活で「読んだことのない本について語る」ことを知らずにこなしているのだから。

さて疲れたので、もう書く気がない… 新幹線もう着くし

最後に本を読む、または感想を言うといった状況にある人へ
 ・本書より、読書について細かいことを気にする必要はない。究極の状況である「読んだことのない本について語る」ことにすら魅力的な価値があるのだ。自信をもって自分の考えを持っていて良い。特に作者に対して言うときは細部に入ったコメントをするべきでない、そして作者には褒めておくのが基本w

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春休みなう。12,1月のピークからの、2月の鬱を抜けて3月。毎日楽しく過ごしてます。毎日成長を実感できている。よい充電期間になりそう。
しかし、普段のアレに比べて真面目な文章を書こうとするギャップに自分で脅かられる笑

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